The Fool In The Valleyの雑記帳

-- 好奇心いっぱいのおじいちゃんが綴るよしなし事 --

石垣山一夜城

小田原厚木道路で帰るために小田原駅から小田原西ICに向って車で走っていると下のような標識があった。

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Googleマップからの切り取り画像 その1

 秀吉が小田原攻めの際に築いたとされる「一夜城」の跡があるならちょっと寄ってみようという気になり、予定を変更してここを左折した。
しばらく行くとこういう案内がある。もう少し先を右に曲がるらしい。

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Googleマップからの切り取り画像 その2

100mくらい行くと分かりにくいのだが入口の看板があり、東海道新幹線の手前で右折する。

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Googleマップからの切り取り画像 その3

住宅地の中に入り込むと急な上り坂になる。箱根のターンパイクは何度も走ったことがあるが、この道はそれと並行して走っていて同じような勾配の急な坂である。

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小田原城から石垣山一夜城へのルート

道なりに進むと、途中、下の写真のように「石垣山に参戦した武将たち」という説明板がところどころに建てられている。これは伊達政宗。今日は車で登ったが、こんな説明板を見ながら歩いて登るのもちょうどいいハイキングコースになりそうである。

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Googleマップからの切り取り画像 その4

小田原攻めでは、周囲9㎞に及ぶ北条方の総構えを秀吉軍が下の図のように取り囲んで長期戦に臨んだという。図の左下、小田原の南西に総大将秀吉の名があり、そこがこの石垣山一夜城である。その反対側の北東に酒匂川を背にして家康が陣取っていいる。その他の武将の名前を見るとオールスターキャストである。

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双方の布陣 (現地に置いてあったパンフレットから借用)

麓から2㎞くらい走ったところに石垣山一夜城歴史公園の駐車場がある。駐車場に車をとめて公園になっている城跡に上ってみた。公園は木に囲まれているが、一部に木が取り除かれたところがあり、そこからは下の写真のように東の方角に小田原市街、さらには遠く伊豆半島が見渡せる。

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公園の一部の木が切り倒されて東の方向を望める

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少し寄って見ると小田原城が分かる(赤丸)

この場所に城を築いてこういう風に木を切り倒せば、確かに急に城が現れることになりそうだ。話には尾ひれがついて伝わっているだろうから、事の真偽は分からないが、周囲をぐるりと取り囲まれ、小田原城を見下ろす山の中に短期間に城を築く秀吉の圧倒的な力に北条方が胆をつぶしたことは事実だろう。

伝えられていることとしては、ある時ここで、秀吉が家康を立小便にさそい、東を見やって用を足しながら、小田原が落ちたら関八州を与えると言ったということであるが、その時に見ていた景色はまさにこんな感じだったのだろう。
家康にとっては、非情な国替え命令を受けたわけだが、そのおかげで江戸が開かれ、それが今の大都市東京につながるのだから、大変なことが決められた場所でもある。